近代化以降,現実,見ての通り,
複雑多岐にわたる諸分野,諸制度,諸体制の構築がなされてきている。
特に20世紀後半以降,情報化時代と21世紀初頭,
その度合が「ナイーブな扱い」になっている事をふと,実感します。
そして,その「ナイーブな扱い」が複雑多岐な社会経済の,
一見して情報過多の中で,本来の本質的成果や本質的解決と乖離して,
一人歩きし始める事も多くなってきている気もします。
私は21世紀,私達の持つべき凝縮したキーワードを一つ上げるとするなら,
それはやはり,「サスティナブル=(長期)持続性」だと思ってます。
しかし,そこには「3つのサスティナブル」があると思います。
1つは,今一度見直し、盛んに議論されている
「有限な地球環境のサスティナブル」
2つめには,1つめの自然の営みと長期的に矛盾しない
「第2の自然としての人類経済社会体制のサスティナブル」
3つめには,上記2つを支える資質の
「心(精神)のサスティナブル」です。
その3つをまとめて広く捉えるなら,
「地球&人類経済社会の生活の営みのサスティナブル」とでもなりましょうか。
21世紀の「環境」時代。
その「環境」とは上記3つのサスティナブルの程よい調和なのだろうと思います。
特に2つめと3つめがこれからこの「環境」に関する重要な視点として,
従来の延長上の惰性で成果が出せない部分を再構築されるべき時代に
さしかかっていると思います。
その為には,「本質あぶり」が必要です。
最終的には「私達は何のためにこの地球,この国,この地域に生きているのか。」
「その生きる意味を持続的に発展させるにはどうすべきか。」
というところ迄行き着くところがあるでしょう。
21世紀は,上記1の地球の星に生き長らえさせていただく存在ととらえたり,
地球や自然の意思体現のサスティナブルな環境を、能動的に創造する存在ととらえる
時代になって来ていると思います。
そうすると,生きる其の意味が見え易くなってくるのだと思います。
その為に先程3つの中で話した2つの
「心(精神)のサスティナブル」
「第2の自然としての人類経済社会体制のサスティナブル」を
その生きる意味に照らし合わせ,どう世界なり国なり地域なりを再構築するかが
繰り返すようですが,これから取り組むべき「環境」要素として本当に重要な気がします。
歴史が教えてくれるように,エネルギー転換が文明を変えます。
つまり私の言う「環境」が変わります。
今迄の文明の歴史がどれだけサスティナブルだったかは別として。
あらたな文明は世界を変えるインパクトにはなります。
そして,それを扱うだけの時代精神,あらたな心の有り様があってはじめて文明という変化を人間の感触実感へと変え、豊かにしていくクリエィティブ・スピリットの取組みも当然,必要となってきましょう。
それを「芸術文化」と捉えるなら,
私達の企業はそのような「環境」の中で,
21世紀を迎えて,どのように皆様への提供が出来るのかを,
弊社90年の長い変革の歴史のサスティナビリティを織込みながら,
「可能性が開かれた,素敵さ」を中心にできるだけレッドオーシャン市場ではなく,
まさしく地球環境時代のブルーオーシャン市場として共生的かつ共創的に考えていけたら,それは素晴しい事だと思っております。
私達はそのような思考の広がりの中で,可能性の開かれた「環境」への取組みを
より素敵に,具体的に,ポジティブに考えていきたいと思っております。
今後とも,弊社の取組みに関して一つ,皆様,宜しくどうぞ。