2010年11月18日木曜日

おかげさまで,モエレ沼公園での建築家展は無事終了しました。

前回ご紹介した建築家展は,北海道では一番季節の悪いこんな時期にわざわざ延べ約300人前後2日間で,おかげさまでご来場していただきました。ありがとうございました。

2010年11月5日金曜日

毎年恒例,建築家展11月13日/14日11時~17時あのモエレ沼公園ガラスのピラミッド内で開催です。



これから建築家展をポスターのように開催します。

来週,地下鉄の全車両にこのような中吊りポスターを掲載してますので

宜しくどうぞ。

今回はまた全国建築誌掲載,エコ超省エネ住宅等に興味深い建築家にご参集していただいてます。

彼らの建築に関する魅力的な場合によっては驚きの考え方,空間展示,模型を通じて

建築家に直接対話できる貴重な機会をご用意致しました。

弊社も今回,5つの新たな建築パッケージメニューをご用意させていただき

ここで発表させていただきます。

さてどんなメニューか,乞う,ご期待です!

尚,会場は入場無料です。


冬になる前の行楽がてら,駐車場のよく整備された,世界的なアートパーク,
モエレ沼公園へ

ご家族や伴侶の方と御一緒にお気軽にどうぞ!!


弊社,会長が他界してしばらく喪中でありました。

弊社,会長 山本謙治が9月6日,享年77歳で他界致しました。

複数の新聞等で告知されていたのでご存知の方は御存知と思います。

9月9日通夜,10日告別式で延べ900名以上の方々にお越しいただき,

改めて,生前,お世話になった皆様に故 山本謙治 会長になりかわり,深く感謝を申し上げます。

2010年7月16日金曜日

暑中見舞い申上げます/弊社を取巻く地域経済環境

暑中見舞い申上げます。

多くの方々のおかげで、今日までこれた事を改めてお礼申し上げます。

地域ゼネコンとして土木も数億円ほど施工していた時代がありました。

しかし、10年に渡る土木公共事業の減少の中で
特にここ5年は土木技術者の雇用を守り維持するのがやっとでした。
正確に言うと、土木部門は採算を維持できなくなってしまいました。
定年退職者や不治の病で退職した人など自然減をしていきながら
まだがんばれる技術者を雇用維持してきました。
最後には3000万円ほどとなり、過当競争の兼ね合いからまた
工事数の激減から誰が見てもまともな報酬を払うまでの利益にはなりませんでした。

そうしてやむなく非主流の土木事業は、最後の土木事業部門の一人を今年勧奨退職をしました。その土木技術者の本人もその事情をよく分っており、退職日当日「今まで雇用を支えていただき、大変ありがとうございました。」とお礼まで申して退職していってくれました。経営者としてこれは少し驚きましたが、なんとか主力の建築の利益で支えていたのが実態だったのをよく理解した人間だからこそそういってくれたと思います。苦渋の選択ですが、うれしく思いました。

土木の取巻く状況はまともな仕事は公共事業しかなく、しかも土木の公共事業はある規模の同じ経験がなければ入札に参加できない仕組みであり、ランクが比較的下位では、どうやっても成長する事ができない仕組みにほぼなっています。これでは未来はありません。

このような相当不況が激しい業界にあって、幸い離職1ヶ月後にはもうその土木技術者は今時でも成長している土木会社に就職できました。

今年は主力の建築の数億単位の複数の手持ち工事が一巡し、リーマンショック以降の新規受注を半年前から本格化したのですが、その当時はまさに恐慌からの病み上がり地方経済であり、
19年前現会長が社長時代に交通事故を起こし、バブル崩壊と重なる瀕死の会社を企業再生すべく31歳の私がこの会社に入社した時を考えても、このような厳しい試練は初めてでした。

このような民間もどん底まで需要が落ちた時期に頼みの数十年実績のある公共工事が結果的に1年間一つもとれませんでした。リーマンショック以前は通常は6〜10億前後公共建築の施工に携わっておりました。それが0ですから激震が走ります。
決して公共建築工事が少ない訳ではありません。公共関連の積算本数で20件、総額で約50億くらいの入札チャンスで入札しましたが、何故か恵まれないでいます。入札は奇妙な入札額の宝探し状態になってます。何かがそこに漂っています。長年の業界嗅覚というものでしょうか。
部局によっては3年間も受注がとれないところもあり、もうそろそろいい加減に決めなければならない時節柄とも言える状況にさしかかっています。

他方、民間はようやっと従来の仕事の状況が一つ一つ確かめるようになり、
少なくはありますが、よみがえってきている感触は現場感覚としてあります。

そんな状況です。

まだまだ現在は足踏している状況ですので、
お客様のご要望に十分応えられるスタッフをご用意して万全の施工をする事が可能です。

お知り合いの方等いらっしゃいましたら、解決力はできるだけワンストップソリューションをはかりますので、弊社に相談される方が良いが場合も多いと思います。

ホームページを見ての通り、社長をはじめ全国大手ゼネコン出身者や何人もの大学院卒や技術者の約90%に及ぶ1級建築資格所持者がおります。

特に社長である私は、建築関連の解決の方向性に関しては、相当の研鑽をしているつもりでおりますので、何らかの手がかりと感触を得られ、お客様と対話するの中で弊社でおこなうのが結局トータルで見るとよろしい成功事例も案外多かったりします。
実質、さりげなくパーミッション・コンサルテーションがおこなわれている場合も多くあります。

私は専門では比較的早く可能性は判断する方です。
しかし一般で見てもかなり難易度が高く、それでもどうしてもという方からの
私でも今は何とも言えないが、できる可能性が残されている状況場合には期限を
設定し、その中でベストを尽くす依頼が時にはあります。

ところでお客様は一般的な方々でも、よく話を聞くと千差万別です。その個性的な状況を大切にしてご相談に乗るコンサルティングからお客様にとって興味深い展望を共有し合うような、そんなあり方を大切にしたいと思います。

わたくし個人としては要請されて、ポータルサイトAll Aboutにて建築家の専門家相談コーナーに現在、全国の方の私ならではの部分を通じて建築等の相談を承ってます。

一つ何卒、宜しくどうぞ。


2010年6月23日水曜日

日本の将来へ向けての自己問答

ある日曜日の朝、報道特集を見た。

中国の未来に燃える産業経済のありかたが報道されていた。

約40年前の大阪万博のような日本の産業経済の未来への熱い想いと重なる。

中国製品も品質クオリティを上げてきている。

ある性能まで以上では消費者は特にこだわらない

コストパフォーマンスの領域にはいってくると、日本製品も負け出す。

「技術の日本」を過信すると、今後の日本は「ない」だろう。

環境技術では世界でアドバンテージのあるといわれる日本。

しかし、基礎研究から革新的なシーズを生み出し、革新的なアプローチの

製品づくりに必ずしも長けているとは言いがたい。

世界的なアドヴァンテージはおそらくその革新的なシーズをいかに

上質で洗練されたカタチで製品普及させる事ができるかということは

日本のお家芸だとは思うが、最近のAPPLE社の製品を見るにつけ、

うかうかできない緊張感を持たねばならないところにもきている。

(いまのAPPLE社が他国でも特別な存在だとは思うので限定的ではあるが。)

そう思ってくると、

日本の生き方とは、従来の強みに増して、

日本の優れたグローバルに通用する魅力的な部分での感性を

つまり、例の「JAPAN COOL」といわれる分野を

「より先鋭に戦略的に製品&サービスに世界戦略上、

あらゆる日本の産業に極めていかなければならない」と。

そして、それゆえに

「日本の過去現在の日本文化芸術の世界浸透戦略を同時におこなわなければ

ならない戦略上の重要な必然性がある。」と理解すべきである。

その為に、我々はその日本の生き方でどう立ち振る舞うかが問われている。

・・・そう、直感し、達観した。


新興国の10年後20年後の将来を見据えるならば、

最後は技術力だけでなく、芸術文化デザイン力そしてホスピタリティサービス

をより重視して先鋭化していくならば、日本の産業経済の生き方は世界的に

うまくやれるだろう。

特に手先の器用な微細な精密精度の高いものは

伝統的に世界のあこがれをMADE IN JAPANで確立している。

しかし更に、埋もれた日本らしい美意識を再発見し、

新たな次元の芸術文化デザインを纏った製品、サービスにまで昇華し、

編み出して、新しく世界の人々を魅了していくこともとても重要で、素敵だ。

特に、日本の現代に至るまでのサブカルチャーを「深耕栽培」する事、

つまり、地方文化を世界戦略上、重視する事、これが大事だ。

そこで見えてくる事は、伝統文化は地方文化としてあるけれど、

これからの戦略上サステイナブルにするにはサブカルチャーが「常に現在形」で

地方文化で多様に花咲き、創り出していける状況を創らなければならない。

その思考の延長上でも、やはり地方主権、道州制の思考の枠組みが重要な視点として

遡上に上がってくる。

・・・という訳で、そういう日本の時代が、より際立っていくことを夢みている。

そのために、自分に取巻く中で、できる事を皆様の仕事でのご支援がある限り,メセナを通じて陰ながらこれからもやっていきたいと思う。

2010年5月7日金曜日

グリーン グリーンという曲に触れて。

子ども達が下記のような意識を今現在持ち合わせているなら、
下記の歌声がわかりやすいさろうk

その時
パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
つらく悲しいときにも ラララ 泣くんじゃないと
グリーン グリーン
青空にはそよ風吹いて
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がゆれる

ある朝
ぼくは目覚めて そして 知ったさ
この世につらい悲しいことがあるってことを
グリーン グリーン
青空には雲が走り
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がさわぐ

あの時
パパと 約束したことを守った
こぶしをかため 胸をはり
ラララ ぼくは立っていた
グリーン グリーン
まぶたには涙があふれ
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がぬれる

その朝
パパは出かけた 遠い旅路へ
二度と戻って来ないと
ラララ ぼくにもわかった
グリーン グリーン
青空には虹がかかり
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がはえる

やがて
月日は過ぎゆき ぼくは知るだろう
パパが言ってた
ラララ 言葉の意味を
グリーン グリーン
青空には太陽がわらい
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑があざやか

いつか
ぼくも子供と語り合うだろう
この世に生きる喜び
そして悲しみのことを
グリーン グリーン
青空には かすみたなびき
グリーン グリーン
丘の上には ララ 緑がひろがる

2010年4月5日月曜日

春ですね。エコポイントはもちろんですね。



日増しに,春めいて参りました。

(たしか,上記弊社が手がけた建築部分の写真の如く,
                冬はこんな纏いでしたか。)

いかが,お過ごしでしょうか?

弊社のアーティステック/デザイナーズのラファイエシリーズブランドの作品が,また一つ誕生しました。

その名も CASA VILLAGE (カーサ・ヴィラージュ)。

都心3km圏,地下鉄平岸駅,徒歩五分という公園隣接の閑静な好立地です。

ゆとりのあるカップル、夫婦、小さなお子さん一人まで可能な45㎡、12畳大+6畳大のフレキシビリティ感ある1LDKが、限定16戸。

そして,
minimal designのspiral階段&living吹抜のある、16.5畳大+7畳大+6畳大にウォーク イン クローゼットもしっかり配備し、札幌でも貴重なゆとりの本格的メゾネット2LDKが,限定4戸という,合計20戸。親密なプライベート感のある9階建高層レジデンスです。

今回は春の雪解け間もない竣工直前の時期に,まだ空室のある住戸に間隙を縫ってセレクトした家具をサッと、社員と即興でインテリアコーディネートをしたのを下記に写真掲載してます。

この手の高層レジデンスをデザインしますと、
「分譲マンションですか?」
「いつから販売しますか?」
「どのくらいの間取りで、おいくらですか?」
と竣工間際に立ち会っていると、現地に訪れるお客様から
不思議と聞かれるケースが何故か多いのです。

「実は通常のコストの賃貸マンションなんです。これはデザイナーズマンション系で、賃貸入居なら可能です。」とお答えしたり。

でもそう聞かれるのは、打放しのコンクリートの外観の肌合いが高級に見えるからなのでしょうか。たしかに、私たちの手がける打放しコンクリートには経年変化に対する耐久性があります。特にコンクリート打放しに関して、フォルムを含め、コンクリートという素材のもつ形態フォルムの可能性の追求とエイジングデザインに独自の発想が弊社にはあります。

ですから、他の平均的な打放しコンクリート建築と比較して経年変化に違いがやはりでやすいようです。特にコンクリート打放し程,会社によりその差は明瞭にでやすいものです。
建築をとりあえず竣工したときまでの見栄えはよければ,あとは深く考えないでいいと考えるか、長期視点のストックとしてエイジングを考えるか。やはり、こういうところにデザインも含めて現れたりするものです。

そういった意味から考えますと,邸宅もおなじですね。

これからも,
一つ一つ,地域特性の素型や祖型の特殊解を求めつつ,
地域の建築文化における潜在的な環境可能性を,
理解と見識のあるクライアントの皆様と共に,
地域のすてき創りを醸成していきたいものです。

(写真そのものをクリックすると大きく表示できます。
ブログに戻る場合にはブラウザーの戻るボタンを押して
いただくとよいようです。)















2010年1月29日金曜日

私の美術ごころ,建築の目覚め



まずは,寒中見舞い申し上げます。

いかがお過ごしでしょうか。

考えますと,もう2010年代が,足元に来ました。


さて,あたり一面,白い世界におおわれるこの季節になりますと,

私の創造力は自由になっていきます。

ふと最近,私の美術ごころ,つまり絵ごころと言ってさしつかえないでしょうが,

いつから芽生えたのか気になり始めました。

小学生になった時に,ようやっと家が建ち,

壁面一面全体が大きな黒板のある子供部屋をつくってくれてました。

現会長である父は設計デザイン&施工の打合せを夜遅く帰ってきて,

クタクタになっているはずなのに,寝ている時にその大きな黒板にチョークで

ドローイングして描いてくれる事が度々ありました。

理解のあるお施主様と共に打合せをするとき,

素早く目の前で空間デザインのドローイングをお施主様に見せるという,

その場で手早いのに、かなりしっかりした空間ドローイング表現をプレゼンテーションするのが得意な人でした。

そんなタイプの打合せをする専門家は建築家でも,結構少ないと思います。

さて,そんなお施主さんと共にいい空間の展望が見えたとき,夜遅くの疲れも忘れて

多分、子供部屋にきて,廊下からこぼれる光の中で、その大きな黒板に描いてくれたのだと思います。

その時は,必ず子供たちへのメッセージがドローイングと共に添えられていました。


現会長である父は創業者の子供の中で5番目の3男でした。

長男,次男にはこの建築の世界を全く継がせませんでした。

そして,この3男である現会長は学校を卒業して若かりし頃,画家になるべく一度,

家を飛び出した人物でした。その当時は戦後間もない昭和20年後半の時代です。

時代はそのような環境にはありませんでした。

絵ごころありながら,普通に仕事に根を詰めて真面目に取組む性格を見越したのだと思います。
創業者は親子の年齢のはなれた5番目の3男を選んだのです。

残念な事に創業者は64歳で他界し,5,6年のマンツーマンの修行を経た25才前後の

2代目社長(現会長)を残していったのです。昭和30年前半の事ですから,

ブログでも書いたことがあるように,祖父である創業者には生きている間に私は

全くあえませんでした。しかし、仕事をしていて、何故か気配で感じます。自分の果たせぬ思いを

私たちに託していることだけは創業者精神から時おり感じるのです。

創業者は建築の意匠デザインを大切にする人でした。そして画家になりそこねた3男に

その当時の事でしたから「絵では今は食えない。建築で行くのがちょうどいい。」と観念させ

長男でも次男でもなく,この3男を自分の後継者に選んだのでした。

はたして,この会社の遺伝子の継承はある意味で間違っていなかったのだと思います。

それは,私の幼少期のあの黒板の絵ごころからやがて中学になって建築の意匠デザインを

極めながら建築をしていこうと言う,とても深い動機付けになりました。

3代続いて90年間以上もこのように時代に即しながら,引き継いで来たところをみると,

遺伝子としかいいようが無い何かがあります。

私の子供の一人は,私よりも絵ごころ激しく,毎日,誰に言われる事もなく

毎日ドローイングしまくってます。楽しいらしく,「魔法のえふで」という優れた

創造力を鍛えてくれるスクールがあるので,紹介すると,はまったように喜んで行ってます。

また,もう一人は,私の書斎から勝手に持ち出していき,国内外の建築の作品集を眺めては,

自分の部屋を改造して楽しんでいるようです。

ついでに紹介すると,私の妹の子は道内に美術大学がないので,

道内の美術を目指す人の大学の一つである北海道教育大の特設美術(通称,特美)のコースに

現在,通ってます。

そして,76歳を超えた現会長は,自分の原点に戻り,昨年度から本格的に画業に自分の

生きざまを投入し始めました。

それを見たとき,むかし私にゴッホの生きざまと作風を語った父を思い浮かべました。

「魂で描くものだと。」