2009年10月28日水曜日

日本の富とまちづくり復活にむけて/その1

日本という国は個人資産形成で世界的に極めて興味深い事をしている。
まさに「水に流す」と言ったほうがよさそうなくらい、結果的に財産形成に自覚がない。
日本の義務教育で教育を受けない株とかの有価証券の投資話ではない。
それはかえって今となっては不幸中の幸いといえる状況かもしれない。

ではこれはどうか。

日本の個人財産の最たる住宅取得は、30年もしないうちに不動産上の建物が実売査定上、タダ同然扱いになる。

つまり、土地代にしかならないということ。
しかも、今の日本では平均的なことをいうと,郊外の土地は売れなくなってきている。
少子化が解消されない限り、環境の魅力が特段よくない限りそうなるであろう。

欧米はどうか、アメリカで騒いでいるあのサブプライムローンの住宅取得による個人財産形成のほうが「サブプライムショック」と世界中を震撼させているが、下落したとしても半分になることはなく、建物評価が中古でも日本から見れば,いい値段評価極まりないだろう。まだ上出来だ。

そう考えると、いかに所得があろうとも、「財産を水に流して消費する国民」と言われても仕方がないのが、実は日本の住宅市場システムだった。 これに歯止めをかけなくてはいけない。これが国民の富を守る、強いては国益を守る、大きな建設業界の使命の一つだといえる。

財産形成で経営が巧みな人は、
自宅は「自腹を切る費用」という人がいる。

いろいろな価値観はあるが,
投資とリターンの財産形成、富の形成の人から見れば正論といえる。そういう人にとっては自宅とは「最後のぜいたく品」ともいえるので、できるだけ貯金の余力が確実に見えるときに初めて購入する余禄のようなものだ。

もっと言ってしまえば、投資しても住宅そのものは「財産を水に流して行くだけで、富をなにも産まない投資」つまり財テクにならないぜいたく品というのが、日本在住投資家であれば今まではそれが正しい認識といえる。

今までの日本の住宅市場の危うさは実はここに深い根底がある。

住宅不況を騒がれるが、あこがれのあの住宅が、
老後には「土地以外タダ」になるのが今の日本の現状だ。

昨年から展開された、国土交通省からの長期優良住宅制度の問題意識の背景にはこのようなことが横たわり、国交省がそこをどれほど自覚的かどうかは別としてその大きな改善のきっかけをいま住宅政策で取り始めたといえる。

もし、自覚的であったとするなら、
住宅不況はそのような政策背景で官製不況として作られたという部分も説得力がある。

たしかにプロサイドで考えると、建築家として、自分の設計したものが「中古でタダ」同然ではやはり悲しい。

今までは住宅ばかりでなく、ビル,マンションでも同様であった。

まだ救われるのはビルマンションであれば収益見込める建築物なので 、最近では収益を稼ぐことができれば建物の値段は収益還元法でそこそこの値がつく場合もある。

しかしながら、建築も文化財だ。文化芸術的な作品としての骨董価値をこれから形成してゆける不動産建築市場を建築家は真剣に考えていくことが、国の国富を日本人の富を守ることへとつながる。そのような文化芸術的な経済市場を作れるようにすることが建築文化の向上をもたらす。

こういう事を論ずる人はあまり建築界にいないので、ぜひトライすべき正論というところ。

つまり建築業界の停滞理由の時代背景一因は潜在的に、ここにある。

しかし、みんなが「中古建築を水に流さない市場の土壌の形成」をやっていけば、この国の国民の富は力強くなる。1500兆円の国民の財産のファンダメンタルはもっと力強くなり、
国の債務とのバランスシート上 資産が明らかに積み上がるような国家が誕生する。不動産担保の国であるからにして、明らかに金融機関の債権保全カバーリスクが向上し、金融市場が向上し、貸し剥がしずらくなるだろう。

そこで開ける視野は、
新築はそれなりの富を持つ余力のある人が文化住宅(懐かしい響き)を建てるものになっていくだろう。

中間所得層の人は、リニュアル品質のいいものを中古取得する住環境成熟社会になっていくだろう。それは、今の新築を取得するより住生活が豊かになる可能性を秘めている。

そして、タダになる今よりは、将来は立派な値段で中古住宅を老後に「財産」として売れる時代が来ることをここで未来の希望、展望としたい。 そうすると、少子高齢化で今の年金におびえる現役世代の論旨がかわる。今の老人世代のような待遇を受けられなくとも、建築の資産形成が老後できる市場へと変化する訳であるから、その年金支給減分を補完するリバースモーゲージ等のより一層,踏込んだ国家政策をとってもおかしくはないのだ。

未来向けて建築にできること、建築の社会貢献は単なる地域まちづくりだけでは終わらないほど、今日的その意義は実はかなり社会的に大きい。

もし何かの経済的失敗リスクがあつても「目べりしづらい」中古住宅を今のように2足3文で売り飛ばすことなく、個人財産のセーフティーネットになっていくようにすれば、日本の個人の富が本当に蓄積していく時代が到来する。

ここで「なぜ日本が欧米と比べて高所得なのに富の実感を感じられないか」の本質の一つが
明らかにわかるであろう。

住宅を賃貸で貸せるのではないかというけれど、本人はその時その賃料で自分の居住費に充てなければならないので状況によるが,やはり収益物件とは言い難い部分が生じる。

今の日本の特に住宅建築不動産世界では作れば作るほど
「富を30年でミズに流す。」つまり,老後になって水に流してしまう高齢者社会日本。
それでも今の老人達は高度成長期に土地の財産形成が出来ている。地価の高い大都市の宅地不動産取得だけの個人財産形成はこれからの住宅取得しようとする世代にとっては,そのような事は,長期的にはいまのところ難しいそうだ。そうであれば,建築の資産価値を温存させる新たな市場形成カイゼンがどうしても求められる。

従って,今後は建築設計界も上記の市場形成からお役立ち使命を考えれば、
決して悲観的ではない。

有限資源を今まで以上に意識するサスティナブル時代には
このようなトレンドシフトが大いに予測される。

それは明るい展望であることは間違いない。