2010年1月29日金曜日

私の美術ごころ,建築の目覚め



まずは,寒中見舞い申し上げます。

いかがお過ごしでしょうか。

考えますと,もう2010年代が,足元に来ました。


さて,あたり一面,白い世界におおわれるこの季節になりますと,

私の創造力は自由になっていきます。

ふと最近,私の美術ごころ,つまり絵ごころと言ってさしつかえないでしょうが,

いつから芽生えたのか気になり始めました。

小学生になった時に,ようやっと家が建ち,

壁面一面全体が大きな黒板のある子供部屋をつくってくれてました。

現会長である父は設計デザイン&施工の打合せを夜遅く帰ってきて,

クタクタになっているはずなのに,寝ている時にその大きな黒板にチョークで

ドローイングして描いてくれる事が度々ありました。

理解のあるお施主様と共に打合せをするとき,

素早く目の前で空間デザインのドローイングをお施主様に見せるという,

その場で手早いのに、かなりしっかりした空間ドローイング表現をプレゼンテーションするのが得意な人でした。

そんなタイプの打合せをする専門家は建築家でも,結構少ないと思います。

さて,そんなお施主さんと共にいい空間の展望が見えたとき,夜遅くの疲れも忘れて

多分、子供部屋にきて,廊下からこぼれる光の中で、その大きな黒板に描いてくれたのだと思います。

その時は,必ず子供たちへのメッセージがドローイングと共に添えられていました。


現会長である父は創業者の子供の中で5番目の3男でした。

長男,次男にはこの建築の世界を全く継がせませんでした。

そして,この3男である現会長は学校を卒業して若かりし頃,画家になるべく一度,

家を飛び出した人物でした。その当時は戦後間もない昭和20年後半の時代です。

時代はそのような環境にはありませんでした。

絵ごころありながら,普通に仕事に根を詰めて真面目に取組む性格を見越したのだと思います。
創業者は親子の年齢のはなれた5番目の3男を選んだのです。

残念な事に創業者は64歳で他界し,5,6年のマンツーマンの修行を経た25才前後の

2代目社長(現会長)を残していったのです。昭和30年前半の事ですから,

ブログでも書いたことがあるように,祖父である創業者には生きている間に私は

全くあえませんでした。しかし、仕事をしていて、何故か気配で感じます。自分の果たせぬ思いを

私たちに託していることだけは創業者精神から時おり感じるのです。

創業者は建築の意匠デザインを大切にする人でした。そして画家になりそこねた3男に

その当時の事でしたから「絵では今は食えない。建築で行くのがちょうどいい。」と観念させ

長男でも次男でもなく,この3男を自分の後継者に選んだのでした。

はたして,この会社の遺伝子の継承はある意味で間違っていなかったのだと思います。

それは,私の幼少期のあの黒板の絵ごころからやがて中学になって建築の意匠デザインを

極めながら建築をしていこうと言う,とても深い動機付けになりました。

3代続いて90年間以上もこのように時代に即しながら,引き継いで来たところをみると,

遺伝子としかいいようが無い何かがあります。

私の子供の一人は,私よりも絵ごころ激しく,毎日,誰に言われる事もなく

毎日ドローイングしまくってます。楽しいらしく,「魔法のえふで」という優れた

創造力を鍛えてくれるスクールがあるので,紹介すると,はまったように喜んで行ってます。

また,もう一人は,私の書斎から勝手に持ち出していき,国内外の建築の作品集を眺めては,

自分の部屋を改造して楽しんでいるようです。

ついでに紹介すると,私の妹の子は道内に美術大学がないので,

道内の美術を目指す人の大学の一つである北海道教育大の特設美術(通称,特美)のコースに

現在,通ってます。

そして,76歳を超えた現会長は,自分の原点に戻り,昨年度から本格的に画業に自分の

生きざまを投入し始めました。

それを見たとき,むかし私にゴッホの生きざまと作風を語った父を思い浮かべました。

「魂で描くものだと。」